ジノバキ
02額、祝福
椿の方へ歩きながらジーノは軽やかな調子で言った。いつもの柔らかな微笑みが浮かんでいる。
対照的に椿は戸惑いの表情を浮かべた。すぐに先ほどのMVPのインタビューの事を思い出す。恐らくジーノの祝いの言葉はそれを指しているのだろう。椿がインタビューに呼ばれる前にジーノは「僕じゃなくて残念だ」と言っていた。不満とは裏腹に、声色は何処か嬉しそうであった。
「あ、ありがとうございます!」
椿はジーノに頭を下げた。椿はこれまでのサッカー人生の中で、MVPに選ばれたのは初めてだった。プレッシャーに弱い性質のせいで試合では何度もミスをしてきた。ごくたまに調子の良い時もあったが、圧倒的に失敗の方が多い。失敗ばかりの自分を変えたい。その思いを実現させる為に走った結果がMVPだった。確実に自分は、変わりつつあるのだ。
そして、一番忘れてはならない事はこの結果は目の前にいるジーノのお陰であるという事だ。初めて一緒に組んだ時からジーノのパス回しは色褪せていない。頭を下げながら椿が改めてジーノの力を実感していると、頭に重みを感じた。
えっ、と顔を少し上げてみるとジーノがニコニコと笑っていた。ジーノの片方の腕が椿に伸びていた。恐らくいや確実に今椿の頭にジーノの手が乗っかっている。
「さすが僕の犬だね」
いい子いい子、とまるで犬を撫でるかのようにジーノの手は椿の髪を揺らした。
犬。初めて組んだ時に言われた言葉。最初はその言い方に少し動揺したが、それが王子という徒名で呼ばれるが故の性格であった。穏やかで軽妙で、軟派で癖のある言い回しをし、自分の価値を誰よりも理解した上で自分を主軸にサッカーをする。それに、何だかんだで憎みきれないのもジーノの魅力でもあった。
「お祝いしないとね」
ジーノは撫でる手を引いた。椿は戸惑いながら頭を上げる。
「バッキー、少ししゃがんで」
椿は何の疑問もなく言われた通りにした。
「顔は下げないで、僕の首に目を向けるように……そう、ちょうど良いよ」
何が良いのだろう、と考えようとした先、ジーノの体が椿に近付いてきた。額に柔らかな感触。
「これからも自慢の犬でいてね」
ジーノの体が離れた。椿の耳にジーノの言葉は届いていたけれども、それよりも額の何かが何なのかをグルグルと考えていた。
「それじゃあ僕はシャワーを浴びてくるよ」
そう言ってジーノは椿に背を向けて歩いた。椿はジーノの背中を見つめるが、思考は相変わらずである。
(えっと、あれは、えっ?)
近付いてきたジーノ。柔らかな感触。額に残る熱。
バンっと背中に強い衝撃が走った。
「よっMVP!何ボーっとしてんだ」
「か、監督…!」
椿の後ろに達海監督が立っていた。
「い、いえ」
椿は慌てて達海の顔を見た。
「えっと、大丈夫です何でもありません」
そうか?と達海は呑気な声を出した。椿はブンブンと頷く。
「お前もシャワー浴びてスッキリして来な」
「はっはい!」
「ところでよ椿」
「何ですか」
達海は右手で自分の顔を触った。
「俺の顔に何かついてんの?」
「えっ何もありません」
いやね、と達海は不思議そうに呟く。
「お前なんか、さっきからマジな目で俺の顔のどっか見てるなーって思って」
「え?!あっす、すみません」
椿は急いで頭を下げた。
(何やってんだよ俺!)
心の中で自責をすると同時に羞恥心が姿を現した。
達海の顔を見た時、ふと唇に目がいった。額の柔らかな感触。あれはもしかしたら、その可能性を考えていたら達海の唇をずっと凝視していたようだ。
(やっぱり、あれって…)
王子の事を少し分かった気でいた。
それでもまだまだ分からない事は多いんだ、と椿は改めて王子という人間の底の見えなさを感じた。
「じ、じゃ俺失礼します」
「おう!」
達海に軽く会釈をして椿はその場を後にした。歩きながらそっと額に触れる。
(お祝い、か)
祝い方には驚くが、あの王子が誉めてくれたのは確かだ。
(……よし!)
自分のサッカーの手応えを感じ、そして周りも同じように評価してくれた。まだまだ、自分はやれる。
椿の足音は廊下で誇らしく響き渡った。